長年に渡って大変にお世話になっている渡邊技研の監督、松本さんがこの冬に退社なされました。ご高齢でしたので兎も角お疲れ様でした。現在のacaaスタッフに加えてOGからも言葉を頂いて寄せ書きにして、松本さんに手がけて頂いた9件の住宅作品の写真と一緒に贈りました。
困難な仕事も沢山ありましたし、スタッフの教育という面においても、松本さんの功績は大きかったと思います。とりわけ最後に手がけて頂いた大田区大森の住宅『都市と箱庭』は、高低差のある敷地にスキップフロアーと斜めに絡み合う四角い平面形が中庭に小さな広場の風景を生み出している住宅で、基礎からディテールに至るまで困難の連続だったと思います。毎週の定例会議ではいつも松本さんの意見を聞きながら大工を交えて方針を決定してゆく流れで、私も沢山救われたこともありますし、勉強させて頂きました。ありがとう御座いました。
さてさてこの住宅、一般的な住宅には必ずあるリビングという空間はありません。acaaの手がける住宅の多くがそうなので、特に驚くことでもないのですが、今回はさらに徹底して空間の細分化と回遊性、迷路性をつくりだしています。そしてひとの移動にともなって展開する空間に常に中庭が絡んでいますので、ひとつの中庭を立体的に様々な視点から眺めることになります。また中庭は屋上へと繋がる外部階段へ至る経路でもあり、いわば路地の様な変形した庭です。その庭に高さや仕上げ、窓が異なるいろんな家(この場合は部屋)が寄り集まって尺度が縮減された街の様です。
中世以降日本では日本各地の景勝地を縮減して庭を沢山つくってきた歴史があります。その手法を縮景と呼ぶのですが、代表選手は桂離宮で皆さんご存じだと思います。要するに何もかも小さくするのが得意な国民性ですので、何か機能的な目的や合理性があるのかといえば、論文をよめばいろいろ理由付けもされていますが、でも結局はそこまでやるか、といいたくなる様なものが近代化の過程でも沢山あるわけで、私は機能や合理性では説明の付かない、やはり国民性としか説明のしようが無いある種の性癖を感じてしまうのです。
そこで私は以前からその手法を住宅に取り込んでいるのですが、大森の住宅でも中庭にこめられた思考は、家族ひとりひとりを、街に建つひとつひとつの住宅に見立て、尺度を思いっきり縮減することで自然豊かな街の広場のアナロジーとして、中庭をデザインしてあります。ここには形骸化した家族という塊は意味をなさず、気の合うひとが自由に寄り集まって生活を共にしているような、大らかな風景が出来上がるといいなと思っています。その様な風景はもちろん建て主のご家族を見ていて思うのですが、それはこの建て主の特異性ではなく、誰もが実は欲している風景なのではないかと思っています。様々なクライアントがいて、様々に思考し結果として建物という不動産を残していく仕事をしていますが、今年もいろいろ思考を巡らすことが出来ました。いつもの事ではありますが、貴重な出会いとご依頼いただいたという奇跡に感謝しております。ご依頼頂きありがとう御座いました。