Column

07/08/01

数日前から家族揃って風邪をひきました。原因は寝るときのエアコン(だろうな、きっと)。私は先週の火曜日、建物の撮影に炎天下に立ち会ったためか、頭痛が始まりまずいな、と思っていた矢先に子供から風邪をもらってしまった様です。先日の日曜日は久しぶりに家にいて、まだ1歳になったばかりの子供と一緒に過ごしましたが、晴天に恵まれ絶好調に暑かったので、子供の熱もあがる一方。(実際39度まで上がりました)こんな時、家の中で一番気持ちがよい場所は縁側。我が家の場合、中庭に面しているので家の中で一番涼しいと思われる。夕方を除けば直射日光も当たらない。蚊取り線香の煙がたゆたう様に流れていく様子をボーと眺めながら過ごす時間が贅沢なものだな、と思いました。やはり家には、いろんな居場所が必要です。直射日光の当たらない暗めな居場所、暑い日でも窓を開けて外気に触れながら座れる、ただそれだけでいい。エアコンなんかいらない、そう思えてくる。小さくて40㎝角でもあれば十分座れる。それが居場所の概念であって、部屋というセルの蓄積ではない。居場所は常に「流動的」であって、それでいて「分節」もされている。「部分」と「全体」が共存している考えとはそういった空間の事だろう。我が家の縁側はそこだけ孤立した存在ではなく、庭やガレージ、子供の場所や食事をする場所やらと、明るさのバリエーションや、目線レベルの違いから連続と分節を繰り返す関係の中でこそ存在する。そこに居る人と他の場所にいる人との関係は、その都度変化し、相対的な関係を得る事が出来るから、気持ちがいい。選び取る居場所、というのは、つまり答えが用意されていない人と人の関係を、住まい手側が直感で選び取るという意味。そんな複雑な家を、出来るだけスマートに美しく解いてみたい。そんな欲求がまた湧いてきた。

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