Column

08/01/12

年末、信じることについて書いたので、まるで宗教じみた話になってしまいましたが、誤解を恐れずに書くとすれば我々は必ず心の中に自分の宗教をもっていると思う。宗派など無く、自分の生きる道を確かめるために、次の一歩を見極めるためにかならずそれが必要になってくる、無意識のうちに。最近ある本を読んでいてそれは「物語」なのだと分かった。神話と読んでもいい。人類史上、自然災害や疫病に苦しめられながらそれを「納得」することがすなわち精神の調和であって、「生きていける」ということに繋がるのだから、そこには必ず神がいて、養老猛司の言葉を借りれば「仕方が無い」という概念を造り出すことが出来たのだろう。 今、私は物語を持っているから生きていける、と前回のコラムを書き直してもいいかもしれない。その物語を私は私の恩師である建築家吉田研介先生からもらった。彼はいつもそれを「アーキテクツマインド」とよぶ。意味は、残念ながら分かる人にしか分からない。でも本当のところは私も分かっていないのかもしれない。彼はそれ以上にその言葉の意味を説明しないから、弟子どもはそれぞれがその意味を自身の中で醸造し勝手に解釈するしかないのである。でもそれはそもそも言語による意思伝達の限界であって、人類普遍の問題でもある。言葉は実は何も伝えない。結局どこまでいっても言葉の奥に潜む精神なのだ。人の発する精神を言葉のさらに上の概念で感じ、そこに物語を構築出来るから私は私なりのアーキテクツマインドを持つ事が出来る。先生のそれに恥じない様に、今年も一年、大切なクライアントのために努力していかなくてはいけない。

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