Column

08/12/02

へんてこな日本語が氾濫するこのご時世、電車や車に乗っていて相も変わらずいやになります。こりもせず、またまたやります。第三弾。
其の一、「知らない街に泊まるのは、おじさんだって不安になる」、どうでしょうか。まさにタイムリーな吊り広告だから、見覚えのある方も大勢いらっしゃるのでは?不審に思わなかったら、やばいですよ。其の二、「新しいシーフードの新提案」、読んだ瞬間に何だこりゃ、ってスタッフと一緒に笑ってしまった。ちょっと方向性を変えて、怖いキャッチコピーを発見しました。「昨日のすごいを今日の普通に」、家電か何かのメーカーの広告。まぁ、意地悪に考えなければ意味は分かるけど、いくらなんでも、それはあんまりでしょって感じです。良かれと思って書いたのでしょうが、これはかなりやばそう。物事そんなに消耗品扱いでいいの?自ら泥沼に足を踏み入れている様にも思えます。私なら「昨日の普通を今日のすごいに」と言い直します。目の前に氾濫する「物」や「情報」を我々はほとんど手つかずのまま放置している状況です。それが日常であって、大人の言う「常識」って厄介なやつに成り下がってしまって、挙げ句の果てに「何か新しいものは?」と新奇さにそのフラストレーションのはけ口を求めたりするものです。そんなヒマがあったら、さっさと身の回りに転がっている「常識」とおもわれている物事にきちんと目を向けてみてはどうか。目の前にある物事に、感動し、おののいてみる。そこから全てが始まる様な気がする。クリエイティブな生き方とは、新奇な物の発見ではなく、誰も気が付かない普通の中に自分の視点を見いだす事から始まる。だからよけいに、ばかばかしいキャッチコピーや、そもそも文章になっていないゴミの様な広告には腹が立って仕方ない。

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