Column

18/08/10

以前無駄について書きましたが、その続きを書きたいと思います。

都市生活に慣れてくると、人が意識的に創り出したもの以外の物や、あるいはその存在の仕方に対して、不合理や無意味さを感じてしまい、無駄だなと考えたりしがちです。理由は繰り返しになりますが、人の意識が創り出したものではないからなのですが、実は人(つまりあなた自身)も人が意識的に創り出した存在ではなく、何億年もかけて、気がついたら存在してしまっていた存在なので、自然です。でも自分を無駄な存在と考える人はそれほどいるわけではなくて、ほぼ皆さんそのストレスを外部に投影しがちです。

例えば雑草。

雑草という草は無くて、全て植物としての長い歴史を持っていて名称もあるのですが、造園家が計画的に植えた花や山野草、芝生以外に、意図せず生えてきてしまった草、つまり自然は全て無駄で邪魔なものと考えるのが、つまり現代人と言えます。現代人とは即ち都会人と言い換えてもよいほどに、日本は全て都市化してしまいました。本当の田舎人はもう絶滅危惧種ではないでしょうか。

改めて言うまでもなく、自然は必然です。地形の起伏も、道を阻む河も当然自然ですから、その存在は人知を越えた合理性と必然性に満ちているはずです。もしそうでなければ、とっくに淘汰され変形され、落ち着くところに落ち着いているはずで、現代を生きる我々は、常に進行形でその合理性の海を泳いでいます。いつもその波に逆らって泳いでいるので、災害も起こります。どうにもなりませんが、そういった原理は頭の片隅に持ち続けていても損はしないと思います。

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