Column

20/12/18

電車に乗っていてすることと言えば、周囲に点在する宣伝の数々を見ること。特にテレビの無い生活を長年続けている私にとってモニターの設置されている電車はだめですね。動画の宣伝は見たくないと思っていてもつい見てしまいます。動くものに目が行ってしまうというのは、例えば“かえる”が餌を捕獲する行動がそうですが、ひとも動かないものは視覚映像に差異が生まれにくくなり、そのうち認識しなくなります。脱線しますが、触覚、臭覚、聴覚、みな同じで、刺激の差異が無くなると認識出来ません。ほんやり風景を眺める、なんて言いますけど、その風景とはある意味では抽象的にものをみなければ生まれてこない概念ですから、その動かないものを額縁で切り取った行為はすごいことだったんだと、つくづく思います。それが「風景画」の発祥であって、風景の発見といわれます。いわば人物か物しか見ていなかった時代まで遡りますから、風景の発見は衝撃的だったはずです。動かないんだから額縁で切り取ることによって強引に認識出来るように加工したとも言えそうです。

そんなこんなで露出ランキングで常にトップ付近を走っているのは、脱毛、転職、金貸し、季節限定で実学主義を謳う大学、と相場が決まってます。儲かるんでしょうね。儲かるから広告を出すのでそれが原理です。新種では発毛も割と見ますが、脱毛と発毛が並んでいるときは思わず笑ってしまいます。笑うついでに「変えるならきっと今だ」という転職を誘惑する広告。なるほど、変わることは認識出来ることだな、と妙に納得したのですが、変わらないとどういう訳だか不安になったり不満が溜まったりするのでしょう。私はそういった経験が無いので分かりませんけど、多分そうなのでしょう。変わるというのは繰り返すように刺激として認識しやすくなりますので、一時的なドリンク剤のように活気が出る感じはなんとなく分かりますが、その刺激が過ぎたら通常は倦怠感だけが残って元の木阿弥(もくあみ)。それで何か良くなるのかといえば、誰かが儲かるのでOK。すなわちマーケットを構成する一因になったということです。そういった俯瞰した目を持つひとは、きっと転職ではなく別の道を歩むのではと思いますが、どうでしょうね。

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