Column

17/09/05

お盆には毎年帰省して、まだ看護師として現役の母と歩けなくて車いす生活の父の顔を見て、元気な姿に安心しています。今年のお盆は天気があまり良くなかったのですが、車で平均9時間かけて帰省することを考えれば、真夏の猛暑は体にも車にもこたえます。お陰で今年のお盆は渋滞も割と少なく、車のエアコンも快適でした。

以前から考えていたことですが、車の数が多くなって道が混雑し始めたときなどに、車線の合流があったりすると、1台でも前へという気持ちからか、本線の車を次々と抜いて先へ進み、ぎりぎりのところで合流を試みる車を多数発見します。そして私の車の前に何台も割り込みされたことになり腹が立つのですが、ここで少し冷静になりましょう。

腹が立つのは、もしかしたら、私自身も前の車を追い抜いて少しでも前に出たい、という自己中心的な気持ちがあるからなのです。つまり、私が腹を立てているお相手と私自身は同じであるということ。。。

喧嘩は本気を出せば出すほどに、お互いに似てくる、と言います。そもそも喧嘩の発端はどちらか一方であることが多いのですが、喧嘩になる手前で終わらず喧嘩に至ってしまう原因は両者にあるということなのでしょう。そしてその状況そのものは、自分自身が少し引いた俯瞰的視点を持たなければ見えてきません。これは大変に難しい。

私達はまるで空気のようにこの環境、文化と風土を吸って生きています。その結果としての都市化社会やそこから生じる様々な関係性や問題も、普通に生きているだけではそのことの善し悪しを思索したり判断したりといったことには至りません。「知らない問題は問題になりえない」ということです。

設計を行っていて、過去に経験したことはその善し悪しも含めて分かるのですが、経験したことのない問題については、そもそも問題が自分自身に存在していない可能性があるために、気をつけなければいけません。想像力を駆使して、その先の自然と人の営みから、一つのイメージが結実したときに浮かんでくるものが、とても大切だと思っています

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