Column

17/11/01

事務所を茅ヶ崎から横浜へと移転してからというもの、毎日電車通勤をしています。そのお陰で毎日様々な電車の吊り広告を見ることになり、いろいろな思いが駆け巡ることが多くなりました。その中でも特に気になったのは、「誰でも簡単に頭が良くなる!」「仕事も人生も変わります!」「40歳を過ぎたら働き方を変えなさい」「無駄を略して結果を出す」などなど、良く言えば啓蒙の文言の連続です。これは本当に疲れます。私はもちろんその本を買っていませんが広告を見ているだけで疲れてきます。

なぜでしょうか。それは今の自分を否定して新しいものへ飛びつくことを強要されていることに対する焦りと、自分自身の否定を突き付けられることによる落胆のなせる技かもしれません。そしてその様な本を読み重ねる間にきっと自己消失してしまい、路頭に迷い事態は悪化するのではないかと思います。本来的には頭は簡単には良くなりませんし(笑)、人生は今の自分の精一杯を生きるしかないのですが、他人に勝手に「変わります!」と断定されると、まるで今の自分は無能の馬鹿で、変えなければならない存在、となってしまいます。さらに「無駄」は省く必要があるかと聞かれれば、私は「今こそ無駄が必要です」と言います。なぜならば、無駄がなくなったお陰で趣も豊かさも、あるいは心のゆとりすら無くなったので、人はぎくしゃくし、疲弊し、そして生きる意味を模索し始めるのです。そもそも生きることに意味なんて無くて、生きることそのものが価値なのですが。人は何時死ぬか分からないことは多くの方が分かっているとは思いますが、無駄の無い合理的人生を求めるとするならば、人生は本当につまらなくて味気ないものでしょう。

住空間に置き換えて考えても同じことが言えます。面積と部屋数、立派な設備は合理的な発想ですが、それが何か豊かさを与えてくれるのでしょうか。この問いに関しては多くの方が本来はノーと言えるはずです。しかしクライアントがなかなかその様に行動出来ないのは、量産を主体とする住宅産業全体の問題、すなわちマスメディアを通じて宣伝される供給側の空間意識、デザインと文化に対するコンセプトの欠如が問題なのだと思います。一方でacaaの様な小規模なアトリエ事務所がどれだけ訴えたところで、消費社会のノイズの中でその声はかき消されてしまいます。

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